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ものまねとGSの深~い?関係(「しんぶん赤旗」1月19日付「昭和歌謡わしづかみ考現学」から)

 今回取り上げるのは、日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」で隔月連載している、ドーナツボーイズ(岡崎武志氏と郷原一郎氏)による企画「昭和歌謡わしづかみ考現学」の第2回。第1回は上京歌謡がテーマで、拙ブログでも吉幾三俺ら東京さ行ぐだ」をネタにしたナイツの話を書きました。

 この記事では「昭和歌謡―」2回目のテーマとなっているグループ・サウンズ(GS)と、私の好きなジャンルである「ものまね」との深い関係を探ってみたいと思います。といっても学術的な検証なんて私の頭では困難なので、「このGSバンドの曲をあの人がまねしていた」という話をつらつらと、「昭和歌謡―」の記事に沿いながら書きたいと考えております。

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(「しんぶん赤旗」1月19日付学問・文化欄から)

 連載で最初に取り上げているのはジャッキー吉川とブルー・コメッツの代表曲「ブルー・シャトウ」。替え歌が有名な曲ですが、実はものまねの歴史とも深い関わりがあります…と言ったらおおげさでしょうか。

 そのブルコメと関わりの深いものまね芸人は誰かと言えば、岩本恭生。その名前を聞いて意外に思う人もいるかもしれません。ガンちゃんこと岩本と言えばジュリー(沢田研二)のものまねで一世を風靡(ふうび)した人。ジュリーと言えばザ・タイガースでねえの? と思われる方もいるでしょう。

 岩本は1989年秋、四天王(コロッケ、清水アキラ、ビジー・フォー、栗田貫一)が全盛期だった「ものまね王座決定戦」に初出場ながら初優勝し、彗星のごときデビューを飾りました。その決勝戦で披露したのがほかでもない「ブルー・シャトウ」でした。この名曲をものまねし、得点は100点満点と文句なしの初出場初優勝を勝ち取った経歴があるのです。

 岩本は、この初優勝した回でジュリーのネタも当然披露していましたが、曲はソロ活動後の代表曲「ダーリング」でした。私の記憶では岩本がタイガース時代のジュリーをものまねしたのは、初優勝から2年半後の92年春のものまね王座1回戦。四天王のクリカン相手に「君だけに愛を」を披露しました。

 相手が相手だけに満を持しての「タイガース時代のジュリー」ネタを引っ提げた岩本でしたが、クリカン石原裕次郎ネタにあえなく敗退。この敗戦をもって岩本はフジのものまね王座を降板し、後年四天王のコロッケとともに日テレに移籍しています。

 

 「昭和歌謡―」で「最初のGS(「フリフリ」)」と言われているザ・スパイダースも、ものまねと関わりの深いバンドです。何と言ってもボーカルの堺正章は、多くの芸人にものまねされています。

 そもそもGSブーム(1965~69年)の数年後に生まれた私が、初めて「スパイダースの堺正章」を認識したのは、小学時代に見た小堺一機のものまねでした。堺と言えば「西遊記」の孫悟空であり、スパイダース時代など全然知らない私でしたが、子ども心に小堺のものまねは絶品だと思いました。代表曲「夕陽が泣いている」の歌いだし「♪ゆ、う、や、けえ~」を聞いた途端「あっマチャアキや!」と笑いましたからね。

 ものまね四天王の1人、清水アキラも堺をレパートリーとしていました。岩本が初戦敗退したと先述した92年春のものまね王座で、清水は決勝進出。クリカン松居直美ら強豪相手に「夕陽が泣いている」で勝負をかけましたが、歌詞を飛ばしてしまうという痛恨のミスを犯してしまいます。司会の研ナオコに「歌詞をクシャクシャやってるし…」とからかわれ、「セロテープを(顔に)張るのに気が行って…」と釈明した清水の姿が印象的でした。

 清水は堺の所属するスパイダースのリーダー、ムッシュことかまやつひろしのものまねも「ものまね王座」で披露しています。92年秋の王座準決勝、セロテープ芸に続く第2弾として顔に洗濯バサミを施し、ムッシュの垂れ目を表現するという荒業に臨みました。曲はソロ時代の「我が良き友よ」でしたが、99点の高得点でダチョウ倶楽部(この大会で初の準決勝入りを果たした)に快勝しました。

 清水が率いた「ザ・ハンダース」の同僚である鈴木末吉(現・鈴木寿永吉)は、スパイダースのもう一人のボーカル井上順をものまねしていました。これがまあ、似ていないのなんのw93年正月の「ものまね紅白」では審査員を務めた堺の前で披露しましたが、堺のつけた点数は10点満点の6点w鈴木のネタに対し、堺は「そんなに歌はうまくない」とコメントしていました。

 あと、タイガース時代のジュリーのライバルと目されていたザ・テンプターズショーケンこと萩原健一は、意外なほどものまねのネタにはされていません。テレビ東京の素人ものまね番組「全日本そっくり大賞」では、後にショーケン専門のものまね芸人となる庄野健二ら複数の出場者が彼のまねをしていましたが、曲は「愚か者」などソロ活動でのものに限られており、私の記憶ではテンプターズ時代のショーケンのまねは聞いたことがありません。

 

 ものまね芸人とGSという観点から言えば、ビジー・フォーのモト冬樹は外せません。何と言っても「ローズマリー」というGSバンドのギターを担当していたのですから。ただ本人もテレビの回顧番組でネタにしているように、デビュー時には既にGSブームが終了。それが彼のプライドに触るのかは定かではありませんが、冬樹がGSバンドのまねをしたという記憶はありません。

 

 GSのものまねが多くされていたのは四天王の全盛期も入る1980-90年の時期で、21世紀となってもうすぐ20年たつ現在ではあまりものまねの需要があるとみられていないのが現状のようです。しかし「昭和歌謡―」の連載で言われているように、今年2018年はGS最盛期からちょうど50年の年。「歴史は繰り返す」という言葉もありますが、今年を機にGSをものまねする潮流が発生しないかなと、かすかな希望を抱いている次第であります。

(文中敬称略)