ものまね界の「怪優」上島竜兵氏をしのぶ
どうも訃報きっかけでブログの記事を書くのが増えてしまって。てか、藤子不二雄A先生が亡くなったの、もう1カ月以上前なんだな。
お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵氏が亡くなった。61歳。自殺とみられている。リアクションの団体芸で既に大御所芸人の位置に上り詰め、最近は俳優業でも躍進を見せていただけに、上島氏の訃報はいまだ信じがたいものがある。
ダチョウ倶楽部、ひいては上島氏と聞くと先に書いたようにリアクション芸がイメージされる。しかし、私としては子どものころから熱心に見てきた「ものまね王座決定戦」をテーマに上島氏の足跡を振り返りたい。
キャリア初期から中堅期にかけてダチョウが出演してきたものまね王座。リーダー・肥後克広のものまねの才能が森本レオなどで開花し、2回の優勝を飾ったこともあって、ものまねグループのダチョウ倶楽部≒肥後のものまねで持っている印象を私は長らく持っていた。
しかし私のtwitter(@masatowishiguro)のタイムラインを眺めていると、相互フォローであるルイーズさん(@kazunoko_louise)のツイートが目に留まった。上島氏がくだんのものまね王座で四半世紀前に、山城新伍や野村沙知代をまねしていたことを「すごい才能」と称賛していたのである。
私がものまね関係で雑文を書く際には参考にしているものまね研究会さん(@monomane1105)も、上島氏の山城新伍を「最も好きなネタ」と評価。彼の指摘通り、上島氏はネタ中で「チョメチョメ」と言うだけなのだが、それだけでも笑えてしまうのだとか。ちなみに該当のネタ、肥後がサッカーのアルシンド選手、寺門ジモンが柳沢慎吾を演じてこの年開幕し大人気を博していたJリーグの「♪オーレーオレオレオレー」を歌うものだった。時代を感じさせる。
ものまね師としての上島氏は、個人的に必ずしも評価は高くなかった。見た目が似ていても、いざ話すと似ていないパターンが大半だったので。しかし、上島氏が王座で披露したものまねというのはいくつも思い浮かぶ。
今くるよ、小林旭、レツゴー三匹じゅん、映画「虹をかける男」で共演を果たした西田敏行、愛川欽也、大仁田厚、華ゆり(引っ越しのサカイのCMで徳井優とコンビ)、桑野信義、Wけんじ、野村克也、落合博満、アジャ・コング、秋元康、松嶋菜々子、橋田寿賀子、野田佳彦など。着ぐるみを着てピカチュウをまねしたこともあったな。ものまねのメインを務める肥後を両脇で支える役として、ジモンと比べると異性や動物wを多くレパートリーにしていた記憶がある。
しゃべりはともかく、誰かのまねをしているときの上島氏は、たたずまいがすごくなじんでいたように思う。男女の別なく、その人本人になりきってみせる。ためらうことなく堂々と演じる、といおうか。
そのあたりが、上島氏の「才能」なのかもしれない。高校の恩師に「役者になりたい」と告げて上京。青年座研究所やテアトル・エコー養成所で将来を夢見た演劇青年の思いを、ものまねという異質な舞台で花開かせようとしていた…というのはさすがに的外れかな。しかし上島氏の存在感に満ちたものまねがなければ、肥後のものまねだけでは、ダチョウ倶楽部はハイレベルなものまねの猛者が集うものまね王座で2回も優勝できなかったと私は考え直すに至った次第である。
上島竜兵さんのご冥福を謹んで祈ります。