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義将くんの夢には続きがあります。となぜか私が言うwレッツゴーよしまさ!!!

 さて、こないだこういう記事を書いたからには、今回触れないわけにはいかないだろう。9月19日放送「お笑いオムニバスGP」(フジ系)の後半コーナー「2億4千万のものまねメドレーGP」に出場したレッツゴーよしまさ、私的には「義将くん」の話である。

 まずその前に、私の昔の知人の話をしたい。

 その知人には同性の親友がいて、一緒に食事をよく取るほど仲が良かったという。その親友がある年、国政選挙に立候補した。その人は激戦の末に初当選。知人はもちろん親友の当選を自分のことのように喜んだが、同時にあることを考えて泣いてしまったらしい。(もう一緒にごはんを食べたりできないんだ)と寂しくなったのだという。

 義将くんのゴールデン番組出演を目にした私は、その知人の気持ちが非常によく分かる。なぜなら私も、彼の雄姿を見て泣いてしまったからだ。

 まあ俺は義将くんと食事はおろか、会ったことも姿を直に見かけたこともないんだけどな!!w しょうがねえよ。20年前にホームページ「中島マリ狂」でものまね愛をたっぷり語っていた中学生の子が、テレビで大ブレイクする瞬間を見てしまったんでよー。手の届かない世界へ彼が行った、という感覚に陥ってもうたんだわ。

 そしてここでようやく義将くんのものまねメドレーの話に入るw 「ドリフターズ全員集合」と銘打っていかりや長介加藤茶志村けん高木ブー荒井注、すわしんじ(現・すわ親治)、仲本工事のものまねを郷ひろみ2億4千万の瞳」のメロディーに乗せて次々と披露した義将くん。

 偉そうに感想を書くと、冒頭の長さんのまねは少々慎重に入ったように見えたな。もちろんプレッシャーはあったろうし、あと長さんのしゃべりって「2億-」のメロディーと相性よくなさそうでな。長さんは早口だけどテンポはわりとゆったりしているので、疾走感ある「2億-」のテンポと合わせるの難しそうだし。

 ただその後の定番の志村→素の志村(※)の畳みかけは多くの絶賛があるように素晴らしかったし、構成もよく練られているなと思った。私はあえて、義将くんのyoutubeチャンネルを見ずに記事を書いているが、まず間違いなくブーや仲本のしゃべりものまねを彼は習得しているとみている。しかしこの2人に関しては顔まねに徹することでメドレーの内容にメリハリがつき、聞き手に(絶対この人ブーも仲本もしゃべりまねできるやろ。もっとネタを見たいなー)と思わせる効果をもたらす。余韻を漂わせるってやつね。

 コーナー司会のアンタッチャブル柴田が、ネタ後も義将くんが繰り出す素の志村のしゃべりに「やめてくれよ!涙出ちゃうから!」と叫んだのはネットニュースになった。ネタ直後の柴田を見ていると本当に泣きそうな感じで表情が引きつっていたので、偽らざる本心から出た言葉だろう。

 私はその光景を見て、かつて勝俣州和が語った師匠・萩本欽一の話を思い出した。言うてWikipediaの受け売りだけどw 欽ちゃんが勝俣に「ボケがウケたらどんどんボケろ、ツッコミがウケたらどんどんツッコめ。その繰り返しが大きな波になったら、おまえはスターだよ」と語ったてやつね。

 柴田のあの叫びは、義将くんにとっての「大きな波」であり、彼がスターになった瞬間だったのではと私は思う。

 

 さて、こっから見出しに書いたことを書くw

 「2億4千万の瞳ものまねメドレー」でビッグチャンスをつかんだ義将くんの夢には続きがある。そう私は確信している。

 何かって?

 ものまね王座決定戦よ。

 幼少のみぎりより「王座」の熱狂的なファンで、大会ごとに放送されたネタも暗記しているという義将くん。この冬の大会、「2億-」の大活躍を引っ提げて、当然出場を狙っていると思うよ私は。俺が王座のプロデューサーならとっくのとうにオファーかけとるわいw

 さて義将くん、10月1日にこれも「ものまね王座決定戦」のディープマニアで知られるクイズ作家・日高大介氏とそのものズバリ、「王座」テーマのコラボ配信をやるという。詳細はこちら。↓

10月1日(土・昼)オールスターものまね王座決定戦を語る会 vol.3 | 高円寺pundit'

 絶対、義将くんに「王座の出演予定ないんですか?」て聞く人おるやろうな。あ、僕の中ではもう義将くんが出るの確定しているんでw 吉報を待っておる次第です。いやあ、楽しみだぜ。

 

(※)私とは違う理由でw、SNSでは義将くんの「素の志村けん」を見て泣いてしまったという声が相次いだ。これだけ多くの人がものまねを見て泣いた、という事象は非常に珍しいのではないだろうか。改めてすごいことやったんだな義将くんは…としんみりしている。

ものまねを愛する中学生が、20年の時を経てブレイク!!レッツゴーよしまさ!!!

 つい数日前、つらつらスマホをいじってネットニュースをチェックしていたら「おお!!」と身を乗り出すほど驚いた、そして喜んだ記事があった。既にレギュラー放送は幕を閉じた「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジ系)の名物コーナー「ものまね2億4千万メドレー」が特番で復活するという内容。記事はこちら

 ものまね好きだが、ここ数年「ものまね王座」くらいしか視聴していない私は、白状するとこの「ものまね2億4千万メドレー」をきちんと見たことがないバナナマン日村が毎回優勝していたという情報だけは握っているがw

 だもんで最初は前述のネット記事を「ふーん」て感じでスクロールしていた。出場者の名前が紹介されている。神奈月原口あきまさ、ホリ、山本高広…。ふんふん、いつものメンバーねと一歩引いた態度の私であったが、最後に書かれていた出場者の名前に驚愕(きょうがく)した。

 

レッツゴーよしまさ

 

 おお、義将くんやないか!!!!! と心の中で叫んだ私。

 

 もちろん親戚とかではないw ただ私は、彼のことを約20年前から知っている。これももちろん、面識があるわけではない。

 おそらく2003年頃だと思う。まだtwitterinstagramtiktokはおろか、ブログもなかった時代のこと。当時のインターネット上に「中島マリ狂」というホームページがあったのだ。

 アマチュア時代に1994年の日本ものまね大賞優勝、翌年にものまね王座決定戦で優勝。女性ものまね師の第一人者・中島マリ(現・なかじままり)のファンサイトである。

 今さらだが「狂」という字をホームページの名称に使うのはコンプラに引っかかるかもしれないと詮ない話。サイトのデザインは「ホラーものまね」の異名を取った中島氏に合わせてダークな洋館をイメージしていたと記憶している。

 その「中島マリ狂」の管理人が、少年時代のレッツゴーよしまさというわけだ。当時(というか後年ものまね活動を始めてしばらくの間)は義将と名乗っていた。

 義将くん…ここからこう呼ぶ…は、当時中学生。ものまねとともに、中島への傾倒ぶりをよくアピールする文章をネット上にしたためていた。中島のライブにも行って本人にも会い、そのレポートも書いていた。確かスタッフに「君のような若い子でファンは珍しい」と感心された?話があったと記憶している。

 ものまね好きが講じて、義将くんは学生時代からものまね活動を始める。大学時代くらいからライブで録画したネタ動画をYoutubeに上げ始め、私も当時、美川憲一などの彼のものまねを視聴したことがある。MCで「ものまねグランプリ(日本系)に出ています。ウソですw」て自虐をやっていたのは覚えている。

 その義将くん、テレビに出ていたのを私は1回見たことがある。2010年代前半、フジ、日テレに続けとTBSがものまね特番に力を入れた時期があった。「爆笑!!ものまねウォーズ」「激突!!ものまねウォーズ」という特番で、チュートリアルが司会だった。

 2012年の「激突」に、当時22歳の義将くんが出演した。同世代の三浦健一氏とコンビを組み、雅夢愛はかげろう」の三浦和人パートを披露。例のご本人登場で、三浦との共演も果たした。「相方」だった三浦健一氏は現在、東日本国際大学の准教授だそうで、福島ではテレビコメンテーターもしている。彼のサイトはこちら

 ちなみに同番組には、中島マリから改名したなかじままりも出演。確か共演シーンはなかったと思うが、中学の頃から憧れの存在だったものまね師と同じ舞台に立ったのは、まあ感無量だったろうね義将くん。

 しかし「ものまねウォーズ」は義将くん出演回をもって休止。2強というべきフジ、日テレのものまねコンテスト番組で彼の名前を見かけることはなかった。

 昨年、「探偵ナイトスクープ」(ABCテレビ)に義将くんが出演した。「レッツゴーよしまさ」に改名し、ドリフターズ全員のものまねを武器としていることを知った。全国放送でない分、番組への興味自体は薄かったが、ひさびさに彼の活躍を知ってうれしくもあった。

 

 そして2022年9月19日、ついにレッツゴーよしまさは大舞台に挑む。まあ収録だけどw 改めて「ものまね2億4千万メドレー」の出場者を紹介しよう。

 

神奈月

こにわ

霜降り明星せいや

椿鬼奴&レイザーラモンRG

パルフェ・都留拓也

原口あきまさ

ホリ

モリタク!&河口こうへい

山本高広

レッツゴーよしまさ

 

 言っちゃ悪いが、義将くんはこの中でダントツ無名といえよう。逆に言えば、義将くんに否が応でも注目が集まるラインナップである。ある意味、義将くんのための大会と言っても差し支えないだろう。

 さて冒頭の「中島マリ狂」の話に戻る。このホームページ、本体は既に閉鎖されているが、コーナーの一つである義将くんの日記は残っており閲覧できる。

 日記の一つがこちら。高校生になりたての義将くんが、校内で「ものまね同好会」を立ち上げようとしたが、学校の許可が下りなかったという内容らしい。後半の一部分を引用する。

 

芸については人並み異常にどん欲で、かなり努力していると思う。
寝る時間を削ってまで練習したことも何回かあった。
カラオケの音源も衣装もかつらも用意したし、構成もちゃんと考えている。
でも、やっぱり認めてくれないのかな。
ここまでやったら活動の場を広げたいし………。

 

 今、私は義将くんに「認めてもらえて良かったな」と言いたい。

 このブログをのぞくような方なら知っている方もいるだろうが、高校時代の私はものまね王座が好きで、ものまね芸人を夢見たこともあった人間である。才能がないのに早く気づいて、ものまねはテレビを「見る専」になった者としては、20年の時を経てビッグチャンスをものにした義将くんのことが自分のことのようにうれしい。

 レッツゴーよしまさのtwitterフォロワー数は、現在700少々といったところ。19日のオンエアでどれだけフォロワー数を伸ばし、その後の各種ものまね番組に引っ張りだことなるか楽しみである。勝手な推測だが、義将くんの家族や友人は本人以上に放送前は緊張しているだろうなw

斉藤由貴「白い炎」

 斉藤由貴が1985年、初主演ドラマ「スケバン刑事」の主題歌としてリリースしたセカンドシングル。実はどういう曲か、記憶力もめっきり減退した私はすっかり失念していたのだが、Amazon Prime Videoで久々に「スケバン刑事」を視聴して「あーこれこれ!!」てなったw

 それからというもの、斉藤の「♪迷子の恋を…」で始まる、独特の膨らみを持たせたボーカルが頭を支配している始末。われながら、現金なものだ。

 作詞は森雪之丞(当時31歳)、作曲は安全地帯の玉置浩二(同26歳)、そして編曲はデビュー曲にして大ヒット曲「卒業」に続いての武部聡(現・聡志、当時28歳)。平均年齢28.3歳の若い布陣である。何しろ前作の「卒業」が松本隆筒美京平コンビだったからチーム的に気合が入ったろうし、そう感じさせる楽曲の内容だと思う。まあ繰り返し書くように、私はサウンド面の方はとんと詳しくないけどw

 私にとって森の作詞は、子どもの時分から「いじわるばあさん」「キン肉マン」の主題歌などで名前を見かけていたが、改めて「白い炎」を聴き直してみると、この詞には彼の作詞家としての真髄が込められている気がしてならない。そう思った個所は、サビ前の「最後の5(ファイブ)が 押せなかったテレフォン」である。

 ここの詞は、主人公の少女が片思いの相手に電話をかけようとして果たせなかったくだりが描かれている。当時は携帯電話などない時代。すなわち、主人公が電話をかけようとした先は彼の自宅であり、その電話番号の末尾はというわけだ。

 いやあ、このご時世で聴くとストーカー条例的にドキドキするよねw 素人考えでは、別に具体的な数字を出さず「最後の数字が…」て詞にしても意味が通るしそれでよくね? などと思ってしまう。

 しかしそうはしない、あえて末尾の番号を入れたところにプロ作詞家としての矜持(きょうじ)てえものがあるんでしょうなあ。主人公…イメージは当然、歌い手の斉藤…が思う相手の家の番号の下4ケタは○○○5だ、てところでひとりでに詞の世界観が膨らむよね。まあ電話の末尾が5の家に住む当時の青少年は「え、ひょっとして由貴ちゃん俺んちにかけようとしてる?」と胸躍らせただろうなw

 あと1番のサビにある「頬で涙が になります」。これはもう、斉藤「由貴」に引っかけたもので、絶対森さんは狙っとったやろうな。ある意味、松本伊代の「センチメンタル・ジャーニー」と同じくくりよw

 恋心を打ち明けることなく、傷心のなか自問自答するという翳(かげ)りのある主人公の姿も当時の斉藤のイメージにマッチする。だもんで、私の中では「卒業」より「白い炎」の方が斉藤由貴の「イメージソング」て感じがするなあ。まあつい先日まで、どういう曲か忘れていたけどw

 で、今回レビューを書くにあたりこちらでフルバージョンを聴いてみた。1番終えての間奏で、結構エレキギターが前に出てきているのな。アイドルソングには珍しい構成に思うが、玉置が「スケバン刑事」の曲ってことで不良っぽい音楽のエッセンスを入れてみたとか? さすがに違うかな。

懐かしの「内P」から…w

 TIM・レッド吉田の名作ギャグをアレンジ。

 

統一協会信者

「萩生田お父様の友達が生稲晃子!!」

 

 …萩生田氏とは当然、自民党萩生田光一政調会長のこと。

 しかし約100日ぶりに更新した記事がこれでいいのか、という自問自答をしておるところですw

ものまね界の「怪優」上島竜兵氏をしのぶ

 どうも訃報きっかけでブログの記事を書くのが増えてしまって。てか、藤子不二雄A先生が亡くなったの、もう1カ月以上前なんだな。

 お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部上島竜兵氏が亡くなった。61歳。自殺とみられている。リアクションの団体芸で既に大御所芸人の位置に上り詰め、最近は俳優業でも躍進を見せていただけに、上島氏の訃報はいまだ信じがたいものがある。

 ダチョウ倶楽部、ひいては上島氏と聞くと先に書いたようにリアクション芸がイメージされる。しかし、私としては子どものころから熱心に見てきた「ものまね王座決定戦」をテーマに上島氏の足跡を振り返りたい。

 キャリア初期から中堅期にかけてダチョウが出演してきたものまね王座。リーダー・肥後克広のものまねの才能が森本レオなどで開花し、2回の優勝を飾ったこともあって、ものまねグループのダチョウ倶楽部≒肥後のものまねで持っている印象を私は長らく持っていた。

 しかし私のtwitter(@masatowishiguro)のタイムラインを眺めていると、相互フォローであるルイーズさん(@kazunoko_louise)のツイートが目に留まった。上島氏がくだんのものまね王座で四半世紀前に、山城新伍野村沙知代をまねしていたことを「すごい才能」と称賛していたのである。

 私がものまね関係で雑文を書く際には参考にしているものまね研究会さん(@monomane1105)も、上島氏の山城新伍「最も好きなネタ」と評価。彼の指摘通り、上島氏はネタ中で「チョメチョメ」と言うだけなのだが、それだけでも笑えてしまうのだとか。ちなみに該当のネタ、肥後がサッカーのアルシンド選手、寺門ジモンが柳沢慎吾を演じてこの年開幕し大人気を博していたJリーグの「♪オーレーオレオレオレー」を歌うものだった。時代を感じさせる。

 ものまね師としての上島氏は、個人的に必ずしも評価は高くなかった。見た目が似ていても、いざ話すと似ていないパターンが大半だったので。しかし、上島氏が王座で披露したものまねというのはいくつも思い浮かぶ。

 今くるよ、小林旭レツゴー三匹じゅん、映画「虹をかける男」で共演を果たした西田敏行愛川欽也大仁田厚、華ゆり(引っ越しのサカイのCMで徳井優とコンビ)、桑野信義Wけんじ野村克也落合博満アジャ・コング秋元康松嶋菜々子橋田寿賀子野田佳彦など。着ぐるみを着てピカチュウをまねしたこともあったな。ものまねのメインを務める肥後を両脇で支える役として、ジモンと比べると異性や動物wを多くレパートリーにしていた記憶がある。

 しゃべりはともかく、誰かのまねをしているときの上島氏は、たたずまいがすごくなじんでいたように思う。男女の別なく、その人本人になりきってみせる。ためらうことなく堂々と演じる、といおうか。

 そのあたりが、上島氏の「才能」なのかもしれない。高校の恩師に「役者になりたい」と告げて上京。青年座研究所テアトル・エコー養成所で将来を夢見た演劇青年の思いを、ものまねという異質な舞台で花開かせようとしていた…というのはさすがに的外れかな。しかし上島氏の存在感に満ちたものまねがなければ、肥後のものまねだけでは、ダチョウ倶楽部はハイレベルなものまねの猛者が集うものまね王座で2回も優勝できなかったと私は考え直すに至った次第である。

 上島竜兵さんのご冥福を謹んで祈ります。

藤子不二雄A先生追悼

 今晩、まあ午前0時をすぎましたけれども、今回はこの話をしないわけにはいかないでしょう。

 漫画家の藤子不二雄A(正しい記述は○の中にA)先生=本名・安孫子素雄=が死去していたことが、7日に報じられました。88歳。

 私はこれまでもちょくちょく書いてきたと思うが、子どもの頃は漫画家になりたいと願っていた。子どもの頃、つっても小学校に上がる前の保育園の年長あたりかね。幼少のみぎりに、そんな大それたことを考えたのはひとえに「藤子不二雄」の存在があったからである。

 当時は藤本弘(藤子・F・不二雄)、安孫子素雄の2人で1組だった藤子不二雄。彼らが世に送り出した「ドラえもん」「怪物くん」「忍者ハットリくん」を私は夢中になって読んだ。先の3作品のうち「怪物くん」「忍者ハットリくん」がA氏の筆によるものである。手足が伸縮自在で数を5つ数えれば無敵の怪物太郎、ポーカーフェイスで理知的、冷静な伊賀忍者服部カンゾウは魅力的な主人公だった。

 ここからはつらつらと思い出を書いていく。雑な駄文が並べられると思うが、ご容赦願いたい。

 コンビ時代の藤子不二雄は、メディアに出演する際は必ず2人で出演していた。「ケンちゃんチャコちゃん」のシリーズにも本人役で出演したことがある。

 コンビの藤子不二雄が1作品を原作・作画で分けるスタイル(今回A氏を追悼したゆでたまごが相当)でなく、それぞれが単独で描き上げた作品を発表するスタイルなのは今でこそ有名。しかし当時はどちらがどの作品を担当しているかは明言されていなかったと思う。ただ、読み手である私たちは何となく「あ、ドラえもんはベレー帽の人(F)で怪物くんやハットリくんは眼鏡の人(A)なんやな」と見当がついていた。

 それと言うのも、小学時代に購入していた小学館の学習雑誌…「ドラえもん」が必ず載っていた『小学○年生』てやつね。あれの付録の冊子に「ドラえもん」や「怪物くん」の誕生秘話、みたいな短編漫画が収録しておったのよ。確か作画は藤子のアシスタントをしていた、しのだひでお氏だったと記憶している。

 で、その漫画で「F氏が新連載の告知が出ても主人公の設定が考えつかず、締切当日の朝にドラえもんの設定を思いつく」とか「F氏と一緒にドラキュラや狼男、フランケンの出てくるホラー映画を見たA氏が『彼らを家来にする怪物王国の王子』のアイデアを出す」という経過が描かれておってね。それを読んだら小学生でも「あーなるほど。『ドラえもん』の絵柄の人がFで『怪物くん』の絵柄の人がAなわけね」と容易な区別が可能になるってもんで。まあほんと、日本漫画史において空前絶後の漫画家コンビだったのは疑いありませんわ。

 さてA氏と来れば『まんが道』だろう。私の小学時代にNHKにて竹本孝之長江健次主演でドラマ化された。同作品は、既にプロで複数連載を持っていた主人公2人が富山への帰省でだらけてしまい、連載の大半が締切に間に合わず「落として」しまうというトラウマ展開が有名である。

 ただ私にとっては、ドラマ版での、A氏が自身をモデルにした主人公・満賀道雄の漫画家デビュー前の新聞社勤務時代もかなりのトラウマシーンだった。

 若手時代のある時期、道雄は新聞のラジオ番組表の制作を任される。まだテレビが普及していない頃の話で、道雄は上司役の蟹江敬三から「ラジオ欄は一番読まれる紙面だから」と正確な作業を念押しされる。しかし道雄は片思いしている同僚のことをぼんやり考え、いい加減な番組表を作ってしまう。

 翌朝、道雄が出社すると職場では抗議電話が鳴り響いていた。もちろん、道雄が制作した番組表へのクレームである。蟹江さん演じる上司は、道雄を見かけるなり「馬鹿野郎!」と怒鳴り、電話対応に追われるのであった。

 いやー、このくだりはトラウマだったねw 蟹江さんの演じる上司は「強面だけど若手に親身」というキャラだったので、そんな人に怒鳴られた点をもって、いかに道雄が取り返しのつかないミスをしたかが視聴者に伝わるってもんでね。

 道雄はショックで辞職を考えるが、既に就職先を辞めていた相棒の才野茂の激励、また上司の温情もあって勤務を続けるという結末だった。ただもう俺はほんと、小学生にして「社会人になったら、職場に抗議電話が集中しないようにしよう」と考えたからねw 今やっている仕事もそういう状況に陥らないよう、肝に銘じている次第です。さすがに50歳手前に来て「馬鹿野郎!」と怒鳴られたくはありませんしw

 

 最後に。私は数年前、富山県へ出張した際に「ハットリくん列車」に乗ったことがある。いや最初から乗ろうとしたわけでなく偶然でなw

 「忍者ハットリくん」のカンゾウ役を演じた声優の堀絢子さん自ら車内アナウンス。途中で「この地域は藤子不二雄A先生の出身地でござる」て説明していた。そういえば、A氏の訃報を富山県では号外出したみたいね。

 いやもう、本当に惜しい。あの世でA氏とF氏が、再び合作をしてくれることを願っている。藤子不二雄A氏のご冥福をお祈りします。

とりあえずモグライダーはコロッケにお礼を言おうw

 どうもどうも。いやね、スマホをポチポチやっていたらとある芸能ネットニュース記事を目にしまして。ほんでクリックしたら、その記事がおもしれえもんでネタにさせてもらいました。

 出典は文春オンライン。記事は書き下ろしでなく、評論家・中野剛志氏と作家・適菜収氏の共著『 思想の免疫力 賢者はいかにして危機を乗り越えたか 』(ベストセラーズ)の抜粋を掲載したもののようで。

 中野、適菜両氏が共著の中で、ものまねという芸を絶賛しているくだりがあります。それはこちらで読めます。

 先ほど「おもしれえ」と対談の内容を書きましたが、どれくらいかというと「この場に俺も参加したかった」てくらいにw 対談の俎上(そじょう)に上がっている「ものまね王座決定戦」(フジ系)をリアタイで視聴して、自分で各出場者のネタを採点するくらいには熱狂していましたよ、ええw

 で、この対談の核心は何かってえと、やはりコロッケになるでしょう。中野氏は記事中で「ものまねが本物を復活させるって、何なんだよ(笑)」と脱帽しています。

 言うまでもなく、中野氏の発言は美川憲一を指しています。美川は1977、84年の2回にわたり大麻取締法違反で逮捕。84年の逮捕は当時小学生だった私も地元新聞の報道で知り、この記事で美川憲一の名前を認識しました。

 そんな私が再び美川の名前を耳にするきっかけが、数年後のコロッケのものまねだったのだから、いかに美川が芸能界を干されていたのかが分かるでしょう。美川はコロッケのものまねでゾンビの如く復活し、瞬く間にお茶の間の人気者に。コロッケはさしずめ、ミイラと化していた美川に復活の呪文を唱えた呪術師ですな。

 ここまで来たら言及せずにおれないのが、昨年のM-1グランプリでファイナリストになったマセキ芸能社所属の漫才コンビモグライダーです。「地下」と称されるアングラお笑い界では名の通っていた芝大輔、ともしげの2人が結成12年目にして初めてM-1の決勝で披露したのが美川憲一さそり座の女」のネタ。

 そのネタはこちらで見ることができます。この美川憲一ネタは伊集院光をして、往年のコント55号を髣髴(ほうふつ)とさせると絶賛されました。

 しかしひねくれ者の私などは、このモグライダーの勝負ネタはコロッケの功績もでかいなとみています。モグライダーのネタではツッコミでありネタの司令塔である芝が美川をまねるのですが、彼の姿を見た視聴者はほぼ「コロッケの美川憲一」を思い起こしたことでしょう。見ている側に美川憲一が何者であるか、そのイメージ起こしの作業がコロッケによりw容易であったからこそ「トップ出番でなければ、最終決戦まで残れたのでは…」と惜しまれるほど、モグライダー美川憲一ネタは名作に昇華できたのではと思います。

 てわけで、モグライダーYoutubeチャンネルで美川と共演を果たしていますが、彼らはコロッケにもお礼をしないかんなと勝手に考えていますw 日テレのものまね番組での共演を期待しています。