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『川尻こだまのただれた生活』&宮尾すすむと日本の社長「座敷妻」

 Kindleで漫画「川尻こだまのただれた生活」既刊3巻分を購入した。川尻は新進気鋭の漫画家として、twitter上を席巻(せっけん)している。

 1日1枚のペースで、30万近くのフォロワー(私も彼女をフォローしている)がいるtwitterに日常漫画をアップし、万単位の「いいね」をもらう生活を川尻は送っている。その活躍は「次にくるマンガ大賞2021」のWebマンガ部門にノミネートされるほどの注目を集めている。(「次にくるマンガ大賞2021」の選考結果は8月24日に発表)

 

 川尻の漫画の魅力を拙いながらも語るとすれば「地に足がついていながらもミステリアス」。そんな作風と言えようか。

 Kindleの単行本を読めば分かるように、川尻とスーパー「いなげや」の関係は深い。自宅から徒歩2分の「いなげや」のヘビーユーザーである川尻は、隙(すき)あらば同店の商品を勧めてくる。友人男性の大野と「いなげや」を来店し、彼からお勧めを聞かれて鶏のげんこつ揚げを「デカくて油っこくておいしい」、パリパリ春巻きを「ボリューミーで油っこくておいしい」と同じ文言を重ねてアピールするも一蹴されるさまには哀愁がある。(1巻29ページ)

 しかし私が着目するのは、そうした所帯じみたエピソードを連打してくるにもかかわらず、川尻のミステリアスなイメージが維持されていることだ。「いなげや」が好き、酒が好き、甘いものもしょっぱいものも好き。そうした情報はtwitter上の漫画でなんぼでも得られるが、川尻は自身の個人情報に関する決定的な情報やイメージを一貫して与えていないように感じる。

 川尻について報じたこちらのネット記事。この記事によると、川尻はフリーランスの作詞家でありお天気プランナーのようだ。そんな情報、彼女のtwitter漫画で感じ取ることができたか? その一点だけでも、私は川尻の底知れぬミステリアスさを戦慄を持って受け止めている。

 

 話変わってw 川尻の漫画は自身の食生活や睡眠に関するあるあるが多いのだが、個人的にはテーマになることの少ない芸能関係のエピソードに着目している。最初期の作品らしい「『アンナチュラル』劇中で米津玄師『Lemon』が挿入されるタイミング」(1巻41ページ)とか、広瀬すずの宣材写真に空想を膨らませる話(3巻9ページ)とかね。

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(『川尻こだまのただれた生活』3巻9ページから)

 川尻が、広瀬がラーメンをすする(彼女のイヤリングがスープにつかる)のを空想するシーンは、特に私のお気に入りだ。似顔絵もそっくりだし、広瀬本人が川尻のこの漫画を目にしたら少なからず喜ぶのではないか。てなわけで、川尻には「カトリーヌあやこ」的な芸能誌のイラスト関係で仕事を入れてほしいところだ。あ、そういや米津って紅白出場を機に広瀬すずに花束を贈っていたっけね…というネタは置いておくとしてw

 

 さて、そろそろ記事の締めに入るw 川尻の単行本タイトルが『川尻こだまのただれた生活』だと聞いて、私はあるバンドの楽曲を思い出した次第だ。

www.youtube.com

宮尾すすむと日本の社長「座敷妻」から)

 そのバンドとは、宮尾すすむと日本の社長。学生バンドとして当時のモンスター番組「三宅裕司イカすバンド天国イカ天)」(TBS系)に殴り込み、第10代チャンピオンとして名を馳せた。オリジナル曲を発祥とする「二枚でどうだ!!」のフレーズは関東ローカルながら当時の流行語となった。

 だからなんだと言われそうだが「川尻こだまのただれた生活」という単行本タイトルを聞いて、真っ先に思い出したのが宮尾すすむと日本の社長が1stアルバムに収録したタイトル「座敷妻」である。上記のyoutube映像で、4分20秒すぎになれば私のみならず、皆さんも「あー!川尻こだまのただれた生活ぅ!!!」と絶叫していただけるであろう。

 そんなわけで、私はせんえつながら宮尾すすむと日本の社長の「座敷妻」を川尻こだま氏のテーマソングに任命したい。「それはあかん!!」という批判は甘んじて受け入れます。ご指導ご鞭撻(べんたつ)のほど、何とぞよろしくお願いします。

よっしゃ「4分33秒」ネタでM-1優勝かっさらおうぜW

 漫才日本一を決める「M-1グランプリ」が今年も始まった。4回目の緊急事態宣言を発令するなど、相変わらず時の政府に足を引っ張られている日本の漫才界だが、とにかく8月1日から予選が開始する。

 何千とエントリーしている出場者は本番に向けてネタのブラッシュアップに余念がないだろうが、ことこの時点で私が出場者の皆さんに言っておきたいことがある。←さだまさし

 それは、ぜひM-1予選で4分33秒を原作にしたネタをやってほしい。そういうことだ。

 「4分33秒」は1952年に発表したジョン・ケージの作品。第3楽章からなる作品だが、特色は一切演奏がされないことにある。

 その一例は、この作品から察することができる。楽団が鎮座し、指揮者がいても演奏がされることは一切ない。聴衆のざわつきや、客席の赤ん坊が耐え切れず発したぐずり声が記録されるのみである。

 

 私はぜひ、この「4分33秒」を原作にした漫才をものにしたコンビが、予選に切り込んでほしいと切に願ったw 昨年のM-1グランプリ2020は。優勝したマヂカルラブリーのネタが「あれは漫才なのか」と論争を引き起こしたわけじゃん。

 もし今年のM-1に出場するコンビで「4分33秒」を体現するコンビがいたとしたら、それはマヂラブなど足元に及ばないレベルの論争が巻き起こると思う。そうした混沌(こんとん)がぜひ起きるべく、M-1コンビは極限まで「4分33秒」を練り上げてほしい。

 あ、「4分33秒」ネタは、ぜひとも2本完成させてほしい。2本ネタをそろえていないと、漫才師日本一を決める大会に優勝できないからね。

寺内タケシさんの訃報とビジー・フォー

 「エレキの神様」こと寺内タケシさんが亡くなった。82歳。

 「エレキ民謡」に代表される創作活動もさることながら、かつて「不良の音楽」と教育者に目くじらを立てられていたエレキを高校生に普及する取り組みにも腐心していた寺内さん。日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」日曜版にも複数回インタビュー出演し、私のような音楽素人の共産党支持者にもおなじみの人であった。ご冥福をお祈りする。

 しかし、私個人にとって寺内さんと言えば、何といってもモンスター番組「ものまね王座決定戦」(フジ系)でのビジー・フォーのネタである。1997年秋の王座で披露したエレキ民謡の代表曲「津軽じょんから節」は、寺内さんに扮したグッチ裕三の後ろで白の全身タイツのモト冬樹がギターをかき鳴らす二人羽織ネタだ。そのネタはこちらで視聴できる。

 このものまねの肝は、まずグッチのなまりを交えた寺内さんのトークであろう。訃報に際して寺内さんのことをネットでざっと調べてみたら、生前はほら吹きで有名だったらしい。当時のバンドマンはほら吹きが多かったと言うが、そんな情報を仕入れた上で、先のものまね王座のネタでのグッチの口上を書き起こしてみた。実は演奏前の口上は分かりにくかったのではしょっているw

 

ある日4人の若者が、俺のバンドに入れてくれとやってきた。
俺は髪の長いやつは嫌いだから帰れと言った。
泣きながら帰っていったやつが、あのビートルズだ。
その次の日だ。
今度は3人の若者がやってきた。
麻雀のメンツを探していた。
おい、おまえら俺をなめているのか。
俺はしょっぱいぞ。
おまえら、プレスリーの「ハウンドドッグ」という曲を知っているか。
あれは、当時俺が飼っていた犬の歌だ。
どうだ、まいったか。
最後に若者に言っておく。
これからの時代は、なまったら終わりだ。
どうだ、まいったか。
まいったら、滑川アイランドで待ってるぞ。
相変わらず音がでかいぞ。
オス。

 

 いーや1分弱のネタでこの情報量!!東京ホテイソン

 この口上、練りに練られていると思うわ。「どうだ、まいったか」の繰り返しや「相変わらず音がでかいぞ。オス」のアドリブ感とか。

 ものまね研究会さん(@monomane1105)によれば、この寺内タケシネタはビジー・フォーにとって最初期からのレパートリーだったもよう。なるほど、やりなれた感があったわけだ。

 某動画サイトで寺内さんが「津軽じょんがら節」を演奏しているシーンを見ると、右手中指に指輪をしているのが確認できる。実はこれ、先のビジー・フォーの二人羽織ものまねで演奏している冬樹の右手中指にも指輪があるんだわ。

 そうした小道具まで細やかに似せているあたりに、ビジー・フォーの寺内さんへの惜しみないリスペクトや、彼らのものまね師としての矜持(きょうじ)を感じることができる。個人的に寺内タケシの「津軽じょんがら節」は、ビジー・フォーのものまねの最高傑作と言ってよかろう。

 改めて、寺内タケシさんのご冥福を祈ります。お疲れさまでした。

田村正和さん死去

 俳優の田村正和さんが亡くなった。77歳。

 40歳代後半の私にとって、田村さんはご本人の演技よりも「ものまね」で鮮烈な印象が残る人であった。そもそも私が田村さんを知るきっかけになったのは、保育園時代にテレビで見た「カックラキン大放送!!」(日本系)であった。同番組で異彩を放っていたラビット関根(現・関根勤)が、阪東妻三郎の忘れ形見である田村三兄弟のものまねをしていた。

 「田村正和です」「田村亮です」「田村高廣です」

 いや全員一緒やないかい!! と当時保育園児だった私はテレビの前でツッコんだ。われながら嫌な子どもであるw

 「コサキン」として関根の盟友であった小堺一機も、田村正和のものまねを得意としていた。彼は田村正和と同世代の二枚目俳優、近藤正臣のものまねを必ずセットにしていた。

 「コンドーです!」

 私は小堺の田村・近藤のものまねを目にして「そうか、田村さんと近藤さんはライバルなんやな!」と勝手に刷り込まれていたw

 

 私が俳優・田村正和の演技をリアルで目にしたのは「うちの子にかぎって…」(TBS系)だったと思う。新聞は「二枚目の田村がコメディーで三枚目に挑戦!」と書きたてていた。現代っ子の児童に振り回される田村の演技は好評で、後年続編シリーズやスペシャル番組が組まれることになる。

 

 ただ田村の代表作といえば「古畑任三郎」(フジ系)になるだろう。それまでなんだかんだ言って演技に二枚目の名残があった田村が、繊細さを感じさせるボソボソしゃべりを捨てて甲高い声で「日本のコロンボ」を演じる。そのさまはこれまでよりもさらに「ものまねネタとしての田村正和」を消費させることとなった。当時飛ぶ鳥を落とす存在であったSMAP木村拓哉も「古畑拓三郎」として田村をコピーし、後年の正月特番「古畑任三郎vsSMAP」(フジ系)につながった。

 そのものまねネタの頂点となったのが「R-1ぐらんぷり2016」王者のハリウッドザコシショウであろう。木村拓哉と同世代である彼は、古畑のキャラクターを縦横に膨らませて「ハンマーカンマー」という代表作を完成させる。

 そしてR-1ぐらんぷり2016決勝の最終決戦、ザコシショウはラストのネタに古畑任三郎を選ぶ。「最後は古畑任三郎でお別れしたいと思います」という彼の口上をかき消すほどの会場の大熱狂。観客の女性は「やったー!!!」と歓喜した。日本のお笑い史に燦然(さんぜん)と残る名場面だったと思う。

 …とまあつらつら書いてしまって、私の文章で田村正和の偉大さがどれだけ伝わるかはいささか不安ではあるw ただ本当に、田村さんは日本のお笑い界に影響を与えた名優であるという事実は、いささかも揺らがないと私は確信している。

 田村正和さんのご冥福をお祈りします。

米津玄師「Lemon」の替え歌「Jinan(次男)」の解説1

 ごぶさたしております。今回の記事のテーマは替え歌です。2カ月以上前に発表した替え歌「羽田の次男」の、ある意味続編ですw

 まあ今回の場合は、よそのブログで既に発表した替え歌をブログを超えてw解説しようというね。こんなことを書いても何ら興味が持てないかもしれませんがw、とりあえず「こいつはこの替え歌を推しているんやな」とぼんやりでも感じていただければ幸いです。この替え歌は、モチーフにさせてもらった羽田次郎参院議員ご本人にtwitterで「いいね」をもらったもんで、個人的には気合が入っているところです。

 それではまず、私が作成した替え歌「Jinan(次男)」の詞をごらんいただきましょう。原曲の作詞・作曲はご存じ米津玄師。ベースは赤字で、原詞をそのまま生かした部分は青字にしています。

 

「Jinan」

夢ならばどれほどよかったでしょう
未だに兄貴のことを夢にみる
空いた議席を取りに帰るように
納骨したお墓の埃を払う
戻らない人生があることを
最後に兄貴が教えてくれた
長野県の感染者4000人超え
兄貴の命奪ってのさばるまま
きっともうこれ以上犠牲者を生むことなど
ってはいけないとわかっている
あの日の悲しみさえあの日の苦しみさえ
そのすべてを受け入れた兄貴とともに
胸に刻み離れない苦い次男決意
妻東京から呼ぶまでは負けれない
今でも兄貴は羽田氏の光

 

演説兄貴方法をなぞった
「市民と野党の統一候補」と名乗
政策協定を読み返すたび
確信してやまないのは涙だけ
しようとしたの

「チルドレンズファースト」
わたしの知らない国会
あの世兄貴が今
わたし同じ様
「スモールボイスファースト」

掲げたと知るなら
わたしのことなどどうか忘れてください
そんなこと心から願うほどに
今でも兄貴羽田氏の光

 

小躍りし議席取りに来た補選
わたしは思うように名前浸透しない
ちらは業界引き締め

世襲」「落下傘」言うみたい
政策で論争できないそれだけが確か


8時に当確出た9万票の差をつけた
そのすべてを見届け兄貴とともに
胸に刻み離れない苦い次男決意
妻東京から呼ぶまでは負けれない
切り分けた果実の片方の様に
二人は長野の共闘の光

 

 …と私が作った替え歌はこんな感じです。いやあ、原詞を生かした部分を青字にしていくうちに結構驚きましたね。「めっちゃ原詞生かしてるやん!」てなって。

 私は音楽に関してはド素人で小節の区切りもよく分からず、替え歌の詞の改行は歌詞を掲載しているサイトにほぼ準じています。その上で、1行まるまる「Lemon」の原詞を生かした部分を並べるとこうなりますね。

「夢ならばどれほどよかったでしょう」

「あの日の悲しみさえあの日の苦しみさえ」

「わたしのことなどどうか忘れてください」

「そんなこと心から願うほどに」

「切り分けた果実の片方の様に」

 都合5行分の原詞をそのまま使ったことになります。しかもこれ、最初の「夢ならば~」のめっちゃ印象的な歌いだしとか1番のサビ、2番のサビは何と(自分で作っておいて「何と」もないとは思うがw)2行続け、そしてセカンドハーフの大サビ「切り分けた果実のー」ですからね。

 つまりそれだけ、米津の詞が「替え歌にする必要はない、そのまま生かしたい」と替え歌の作成者に思わせるほど完成度が高いってことです。「そんなもん替え歌作るヤツのさじ加減だろ」と言われそうですがw、私も一通り作り終えた後で「あれ?」と気づいたことなのでわりとマジで戦慄(せんりつ)している次第なんです。

 

 米津が2018年放送の石原さとみ主演のテレビドラマ「アンナチュラル」(TBS系)の主題歌として当て書きした「Lemon」。楽曲制作中に祖父が亡くなり、それが曲作りに大きく影響したことは今ではよく知られている。

 私が「Lemon」の替え歌のモチーフにした羽田次郎氏は昨年末に大事な兄、立憲民主党参院議員の羽田雄一郎氏を新型コロナで亡くした。その悲しみにくれる中で、4月25日投開票の参院長野補選に立候補。市民と野党の共闘の後押しで、対立する自民党候補を破って兄の遺志を継ぐことができた。

 まあ「Lemon」の原詞とのシンクロ率が高いのも当然と言えばそうだな。米津自身は楽曲について「あなたが死んで悲しいです、としか言ってない気がする」と振り返ったそうだが、だからこそそのシンプルな世界観がコロナにより国内で1万人以上を亡くした、その関係者(羽田次郎氏もその1人)に刺さりまくるのかなと私は考えている。

 

 次回からはもう少し私の替え歌について掘り下げて解説したい。だいたい想像がついた方も多いかと思いますが、そうです。続きますw

 まあ「Lemon」の公式動画も張っておきますので、米津の歌唱に合わせて私の替え歌を口ずさんでくれれば、これ以上ない僥倖(ぎょうこう)ではある。

www.youtube.com

youtubeの米津玄師公式チャンネルから)

チョコレートプラネット長田があの国会議員に似ている件

 どうもです。私の居住している長野県では、立憲民主党羽田雄一郎氏の死去に伴う参院選挙区補選の真っ最中です。

 4月8日の告示日には、雄一郎氏の実弟であり立憲民主党公認の羽田次郎候補の出陣式が長野駅前で行われました。その様子を報道した「しんぶん赤旗」の記事はこちら

 実は私、この羽田候補の出陣式に聴衆として参加しておりました。この出陣式に駆けつけた応援弁士の一人が、立憲民主党福山哲郎幹事長です。

 昨年12月27日、新型コロナに感染し、PCR検査を受けられず53歳の若さで死去した雄一郎氏。演説に立った福山氏は5歳下の彼を「雄ちゃん」と呼ぶほどかわいがり、急死の報を聞いた際に「雄ちゃん、何でだよ…」と悲しんだことを語っていました。

 

 福山氏の演説を聴いていた私はその悲痛さに胸を詰まらせつつ、別のことに思いを巡らせていました。

「あれ? 福山氏てチョコプラの長田に似てね?」と。

 チョコプラの長田とはキングオブコント2014準優勝、2019 3位の実績を持つコント界の雄「チョコレートプラネット」のネタ作り担当・長田庄平のこと。初めて福山氏の姿を直に見て、2人はよく似ていると思ったのよ。

 細くて鋭い目元とか、甲高い声とか。福山氏は比較的小柄だけど肩幅があって「鍛えているんだろうなー」て思わせるがっしりした体格で、その辺も長田に共通していると思った。まあ長田の肩幅はもっとすごいけどw

 チョコプラはネタとともに、ものまねが評価されてきたコンビである。相方・松尾駿のIKKOものまねは有名だが、長田も和泉元彌前澤友作といったものまねの代表作を取りそろえている。

 ぜひとも長田には、似ている縁で福山氏のものまねをマスターしてほしい。願わくば、テレビなどで「ご本人との共演」を果たしてほしいというのが私のささやかなる願いだ。ご検討のほど、よろしくお願いしますw

有吉弘行さん夏目三久さんおめでとう!!古内東子「誰より好きなのに」【改訂版】

 エープリルフールの4月1日、お笑い芸人の有吉弘行さんとフリーアナウンサー夏目三久さんが結婚した。この2人がレギュラーを務めた「マツコ&有吉の怒り新党」(朝日系)のフォロワーだった私は、万感の思いで報道を受け止めた。

 番組が始まった2011年、既にテレビ界の寵児(ちょうじ)だった有吉とマツコ・デラックスの間に進行役として割って入ったのが、スキャンダルで所属の日テレから見捨てられた夏目アナだった。一癖も二癖も三癖もある有吉、マツコを相手に丁々発止を繰り広げた夏目アナは、またたくまに女性アナ界のスターダムにのし上がっていく。

 その一方で、夏目アナは有吉と愛をはぐくんだであろうことは想像に難くない。いつしか番組内では、有吉の毒舌に夏目がすねてみせ、マツコがフォローに回る。あるいはマツコが夏目を責め、有吉がとりなすパターンが定式化していった。この3人のトライアングルは掛け値なしでテレビ史において最強だったと思う。

 そういえば、今回の結婚報道を機にSNSで取り上げられたエピソードがある。「怒り新党」の中で、夏目が「有吉さんと一つ屋根の下で食事をする夢を見た」と切り出したのだ。

 ガチの告白やんけw これを聞いたマツコが「じゃあ後は若い二人で…」てなスタンスで話し、有吉が珍しく色をなして「これは夢ですから!!」と否定してみせた。これって、十分すぎるほどの伏線だよなあ。

 

 やや唐突ともいえる夏目の番組降板から5年。当時は夏目と有吉の交際報道がなされ、2人の愛の灯はついえたかに思われた。

 否、そうではなかった。夏目と有吉は「芸能界のドン」を乗り越えたのである。とっくのとうに結婚への興味がうせたはずも私も、この知らせに喜ばないわけにいかなかった。夏目さん、有吉さん、おめでとうございます。

 

 ここで紹介したい楽曲がある。1990年代後半、恋愛ソングの教祖とも言われた古内東子の代表曲「誰より好きなのに」だ。

www.youtube.com

古内東子チャンネルから)

 ドラマ「俺たちに気をつけろ」(日本系)の挿入歌だった「誰より―」。自身がピアノの弾き語りをした「ミュージックステーション」(朝日系)にて、同じ回に出演したともさかりえに司会のタモリが「ファンなんですよね」と説明。ともさかが感無量と言った感じで古内の歌唱に聴き入っていたのを思い出す。のちに古内は、ともさかに楽曲を提供している。

 「誰より―」のメロディはピアノメインで非常にシンプル。詞の方はまるで演歌かって思うくらい、両思いになり切れない相手への尽きせぬ思いがつづられている。

 実は私は有吉&夏目の結婚報道を聞いて以降、古内の「誰より―」のメロディーが頭に響き続けてしょうがなかったw それはなぜかと自問した結果、この曲が2人の心情をこれでもかと代弁したからではないかと考えるに至っている。

 4月4日の日曜日、夏目は「真相報道バンキシャ!」(日本系)にて結婚報告の際に、有吉の「仲間を大切にする」姿勢に惹(ひ)かれたと語っている。このくだりは「誰より―」の歌詞にある「友達に混じってはしゃぐ姿 私だけのものならいいのに」と通ずるものがある。実際に有吉はダチョウ倶楽部上島竜兵が主宰する「竜兵会」の一員であるし、また自らも数ある冠番組の一つ「有吉の壁」(日本系)などで若手芸人をもり立てていたしね。

 しかし白眉は何といっても「誰よりー」のサビだろう。「優しくされると切なくなる 冷たくされると泣きたくなる 誰より好きなのに」て歌詞は、まんま有吉(およびマツコ)と「怒り新党」でやりとりした夏目の心情をトレースしたかのようだ。

 そしてこの夏目の思いは、有吉も同じだったのではないかと私はみている。共演でのやりとりを通じて、愛情を人知れずはぐくんだみたいな。4日、自身のラジオ番組収録前に報道陣に囲まれた有吉が「ありがとうございます。幸せです」とキャラを忘れたかのように満面の笑みを見せたのを聞くと、そう感じずにはいられなかった。

 夏目三久さん、有吉弘行さん。改めて、ご結婚おめでとうございます。

(4月5日・6日、記事を加筆・修正しました)