【訃報】作曲家・筒美京平さん…近藤真彦「スニーカーぶる~す」太田裕美「木綿のハンカチーフ」
作曲家の筒美京平さんが亡くなった。80歳。
彼が戦後日本において最大の作曲家の一人であったことに、異論をはさむ人はいないだろう。とにかく代表作が多すぎて、私のようにサウンドやメロディーに素人な人間だとよけいに「筒美さんのこの作品は…」とおいそれと語れないものがある。
しかし幼少のみぎりから「ザ・ベストテン」(TBS系)などの歌番組が好きだった私にとって、筒美京平とは「この人なんぼ作曲してんの?」と子ども心に上から目線でw感心する人物であった。たのきんトリオ・近藤真彦の記念すべきデビュー曲「スニーカーぶる~す」の作曲者が筒美さんである。作詞は名コンビとして知られる松本隆。
リリースは1980年冬なので、私が小学校に上がる前の頃の曲だ。しかし当時の幼い私にも「スニーカー…」は非常に耳なじみのよいメロディーであった。イントロで「ズンズンズンズンズンズンズンズン ズンズンズンズンズンズンズンズン」て迫ってくるようなところあったよね。あれ、当時の私は「ジジババトノヒメ ジジババトノヒメ」て詞を当てて歌っていたからw ここ読んでため息をつく人いっぱいいそうだけど、子どもでも反芻(はんすう)したくなってくるようなメロディーづくりに本当にたけた人だったんだな…と素人なりに納得している。
あと松本によるサビの詞「この世界中」は、初めてマッチの歌声を聴いたとき「殺せ怪獣」と聞こえた。勘違いした幼少の私は「ウルトラマンの曲みたいやな…」と比較的冷静に受け止めていたものである。←どこが?w
松本隆×筒美京平の名コンビ話で言えば太田裕美「木綿のハンカチーフ」の逸話は外せないだろう。伝説のロックバンド「はっぴぃえんど」のドラマーを経て、専業作詞家に転向間もなかった松本は、アイドル歌手太田のシングル曲を手がけることになる。
若くて尖っていた松本は「この詞に曲をつけられるならつけてみろ」との意気込みで作詞したが、その詞に合わせて筒美が完璧(かんぺき)に作曲。すっかり天狗の鼻を折られてしまった松本は、作詞家の道を精進することにした…というね。何だかバトルものの少年漫画の序盤そのものみたいなエピソードだなと思って。
「木綿のハンカチーフ」の曲としてのすごみは、指揮者の篠崎靖男がこのように書いているので、参考までに。松本は筒美の訃報に触れ「右半身と左半身が裂かれるようだ」と、故人をしのんだ。まさに数多くの名曲を共同作業で送り出してきた彼ならではこその、迫力すら感じさせる追悼コメントのような気がしている。
筒美京平さんのご冥福を心から祈ります。