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高畑勲さんをしのぶ

 アニメーション映画監督の高畑勲さんが亡くなった。82歳。

 訃報が伝えられた6日、私の日中の虚脱感は自分でも驚くほど大きかった。特にショックを感じたのは、高畑さんのwikipediaをつらつら読んだときである。

 監督として手がけた映像作品の一つに「セロ弾きのゴーシュ」があると知って、心の中で仰天した。中学時代、学校の授業で視聴したからである。ただ当時は「これ宮崎(駿)アニメっぽいな~」と思いながら見ていた。

 当時の私にとっては、高畑さんは「ナウシカのプロデューサー」という程度の認識しかなかった。ご本人もアニメ演出や脚本を手がける人とはつゆ知らなかった。「火垂るの墓」を「金曜ロードショー」で見る少し前の話である。

 あの中学時代に見た「セロ弾きのゴーシュ」が高畑さんの作品だったのか…そう気づくと、虚脱感に拍車がかかった。そんなことも知らずに俺は30年近く生きてきたのか…と思ったのである。気にしすぎと思われるかもしれないが、それだけ私にとって高畑さんの死はショックだったのだ。

 高畑さんの作品で忘れ難いのは、まず小学時代に見た「じゃりン子チエ」だ。これもリアルタイムでは高畑さんの監督だとは意識しなかったが(エンディングのテロップで「高畑勲」の名前は認識していた)、まあ面白かった。

 特に最終回はインパクト大。主人公チエちゃんの母親ヨシエさんが「やめなさい!!」と絶叫するクライマックスよ。放送の翌日、級友がヨシエさんのものまねをしていたのを思い出す。日本アニメの歴史で最も印象に残る最終回の一つと言って良かろう。

 そして「火垂るの墓」である。物語そのものは戦争直後の話だが、節子が衰弱死していくラストを見ながら「戦争って、何もいいことねえな」という思いが胸に刻まれた。

 私は高校、大学にかけて戦争の実相を学ぶ平和教育や市民による反核・平和を求める運動に興味を持ち、関わりを深めていくのだが、そのきっかけの一つが「火垂るの墓」だと言ってよい。高畑さんは「火垂るの墓」を「反戦ドラマのつもりで作っていない」と生前語ったが、私のような考えを持つに至った人は相当多いのではなかろうか。

 私が高畑さんの訃報を知って驚くほどの虚脱感に見舞われたのは、自分の半生に大きな影響を与えられたからだろうかと思っている。

 

 高畑さんは映画人九条の会の代表委員として改憲反対を訴え、かつ国政選挙等での日本共産党の応援メッセージを寄せていた。それだけでなく、高畑さんは日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」によく寄稿していた。

 2016年9月13日付「しんぶん赤旗」では、高畑さんがアーティスティック・プロデューサーを務めた「レッドタートル」(マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督)公開に寄せてという名目でエッセーを載せている。高畑さんはマイケル氏の作品「岸辺のふたり」を「何度見たかわからない」というほどのファンで、彼から送られてくる「レッドタートル」の台本などに対してさまざまな提案をしたという。

 エッセーでは、初号試写を見届けた高畑さんは「深い満足感を覚えた」と述べつつ、マイケルに「あらためて尊敬の念を深めた」と書いている。フランスで日本よりも早く追悼番組の放送が決定されるほど世界に名をとどろかせた高畑さんの、謙虚な人柄を感じさせる文章だ。東京大学で仏文学を専攻していただけあって、素人目に見ても文才が高いんだよ。

 そんなわけで、今後は高畑さんの生前の業績を再評価する動きが高まるであろうが、個人的には彼の書き残した文章を「マルクスエンゲルス全集」みたいにまとめてくれないかなと希望している。著書や「しんぶん赤旗」など各媒体に書いた記事は言うに及ばず、宮崎駿と在籍した東映動画労組時代に作成した署名文書とかねw

 高畑さんの残したものを研究することは、すなわち芸術としてのアニメの世界的な発展に少なからぬ寄与を果たすことにつながるだろうと思う。そんなことを考えつつ、改めて、故人の冥福を祈りたい。