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「鬼滅の刃」と「エローラの剣」(from手塚治虫「ブラック・ジャック」)

 吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)の漫画「鬼滅の刃」の連載が、今週の『週刊少年ジャンプ』(集英社)最新号で終了した。今さら私が説明するまでもないが「鬼滅の刃」はアニメ化で人気に火が付き、明石家さんま木村拓哉など著名人のフォロワーがついたことで爆発的な人気を獲得。人気絶頂のさなかでの連載終了ということで、社会現象とも言うべき反響を巻き起こしている最中である。

 週刊誌の記事によると、この人気作品を手がけた吾峠氏は女性だという。集英社から作者の性別についての公式な発表はないが、ネットでは以前から「『鬼滅』の作者は女性」という噂が立っていたようで、前述の週刊誌の記事はその噂の裏付けの意味を持っていると言ってよかろう。

 こうした「鬼滅の刃」狂騒曲に触れて、私は「漫画の神様」手塚治虫の不朽の名作「ブラック・ジャック」を思い出した。具体的には、電子書籍版13巻に収録したエピソード「ペンをすてろ!」である。

 

 青年漫画家・猪谷純一のもとに吉報が舞い込んだ。連載漫画「エローラの剣」が漫画賞を受賞したのである。さっそくマスコミがスタジオへ取材に押しかけた。読者の評判によると、彼の人物描写は「女性が描いたのではないか」と思わせるほどの共感を得ているという。当の猪谷は要領を得ない回答に終始する。

 それもそのはず、猪谷は代役であった。真の作者は彼の恋人・水上ケン。彼女は尿毒症の患者で3年もの間入院し、苦しい透析の合間に原稿の下書きを整えていた。

 その間、猪谷は病院からケンの原稿をスタジオに持ち帰り、アシスタントに仕上げをさせる役柄を務めたにすぎない。「エローラの剣」が大人気作品となり、猪谷は自分のなりすましにボロが出かねないと頭を抱える…という展開だ。

 

 まず「エローラの剣」が受賞した漫画賞について書いておきたい。物語の冒頭で、猪谷のアシスタントが「春秋社からの電話」と取り次いでいる。

 ここから察するに、漫画賞とは「文芸春秋漫画賞」がモチーフだろうか。この「ペンをすてろ!」が『週刊少年チャンピオン』で描かれる前年の1975年、手塚は「ブッダ」「動物つれづれ草」で、秋竜山とともに文芸春秋漫画賞を受賞していた。

 手塚のサービス精神なら、この受賞をネタに「ペンをすてろ!」を描いたと取れなくもない。それにしても「鬼滅の刃」と「エローラの剣」、なんか似てんなw

 またこうした代役で思い出すのは、新型コロナ禍で中止が決まった高校野球選手権大会のテーマソング「栄冠は君に輝く」である。このテーマソングは1948年に公募で選ばれたのだが、作詞者は女性と長らくされていた。

 しかし20年後の1968年、「栄冠は君に輝く」の作詞は男性である加賀大介のもので、先の女性は彼の婚約者で代役であったことが明らかとなった。事の真相が明らかになるまで、女性はインタビューで「野球が好きなので…」とあいまいな回答に終始したという。男女逆転すれば「ペンをすてろ!」のモチーフに酷似している。手塚がこのエピソードを知っていたかは定かでないが。

 

 さて「ブラック・ジャック」本編に戻ろうw 作品の主人公たるブラック・ジャック(BJ)はケンの主治医だった。BJはケンの最新号の原稿を破り捨て、執筆をやめなければ彼女の病気は治らないと宣言する。ここで猪谷は板挟みとなる。

 猪谷は出版社に「エローラの剣」の休載を申し入れるが、社長は青天の霹靂(へきれき)といった感じで「わけをおせえて!」とせがむ。「わけは言えない」で通す猪谷。社長は原稿料の倍加や年1回の世界旅行など歩み寄るが、首を縦に振らない猪谷に「やめたら社員一同ズラーッと首をつりますよ」と懇願とも脅しともつかない発言をして立ち去るのだった。

 この辺は非常にギャグ的なやりとりなのだが「鬼滅の刃」の社会現象を見ていると、やたらリアリティーが感じられて困るw ジャンプ編集部も、吾峠に「もっと連載を延ばしてください!延ばさないと社員一同…」て言ったんじゃないかみたいなね。

 進退極まってきた猪谷は、ケンをなだめたりすかしたりしつつ新作のペンを執らせようとする。しかしケンは透析の苦痛から拒絶する。「ぼくの気持ちも考えろよ」とエゴを爆発させる猪谷。「きみが漫画を描けるのは僕のおかげだ」というおごりが見え隠れしてきた。物語はクライマックスに差し掛かる。

 

 ケンの生命の危機に動いたのは、主人公であり狂言回しであり、何よりケンの主治医であるBJだった。編集者にせかされても、当然ながらペンを動かすこともできないで夜のスタジオを過ごす猪谷の前にBJは現れる。ここでのBJは圧巻の一言に尽きよう。

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(「ブラック・ジャック」電子書籍版13巻145ページから)

 一応BJの名誉のために書いておくと、上記のくだりの1ページ前に主治医の彼はケンに腎臓を提供してくれる人を必死で探していた。同年代の適切な提供者が見つからず、BJは猪谷のスタジオを訪れたのである。

 それにしてもBJは挑発のためとはいえ、猪谷のプライドをえぐるえぐる。こらえきれず猪谷が放った鉄拳をさばくBJの横顔よ。

 次のページで病院を訪ねた猪谷はケンの意識混濁を知り、涙ながらに腎臓の提供を決意する。この展開を読み切って、BJは猪谷を煽り、悪魔のような笑顔で彼のこぶしを受け止めたのだろうか。

 

 …うーむ、ここまで書いて「『鬼滅の刃』あんまり関係なくね?」て感じになった気がしないでもないw でも吾峠氏は「鬼滅の刃」終了を機に福岡の実家へ帰り、漫画家引退の噂まで立ち上っている。

 短編「ペンをすてろ!」において、漫画賞を受賞した天才・水上ケンの内面について十分な掘り下げができているとは思わない。物語は恋人の猪谷に焦点が当たっているし。

 しかしペンを執れない苦しみにさいなまれるケンを前に、BJはおごそかに尋ねる。

 「かきたいか?」

 「ええ…」

 ここは名シーンだと思うよ。何しろ作者の手塚自身、後に連載3本(「ネオ・ファウスト」「グリンゴ」「ルードウィヒ・B」)を抱えながら闘病生活を送った人だし。ペンなしでは生きていけない人だもんね。

 吾峠氏は女性作家ながら、編集者に男性しかいない『週刊少年ジャンプ』で1回も休載せずに205回の連載を続け、単行本売り上げであの「ONE PIECE」(尾田栄一郎)を下すことができた。その偉業を果たした吾峠氏なら、必ずや今後の長い漫画家人生にて手塚の見た風景に手をかけることができよう。

 期待しています。雑な締め方ですけどw