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高木ブー「志村は死なないの。ずっと生きている」

 エイプリルフールの4月1日、志村けんの追悼特別番組がフジ系で放送された。ゲストでドリフターズの先輩である加藤茶仲本工事高木ブーが見守る中で生前の志村が携わった爆笑コントが流れ、番組の最後に加藤が「あの世で全員集合したら、そっちの人たちに大爆笑を…」と弔辞を読んだ。

 それを受けた高木のコメントをブログ記事のタイトルに書いた。日刊スポーツの記事で紹介されたコメントの詳細は以下の通り。

 

高木 もう、決めたの。決めました。46年…ドリフターズとして志村と僕らは一緒にやってきた人間。普通の、一般の方と違うの、僕らは…ね。だから、志村は死なないの。ずっと生きている。

 

 実はこのコメントをする直前、高木は妙な沈黙をしていたために共演者から寝てたのではないかとツッコまれていたw しかし最年長メンバーとして締めたこの言葉に、私は大いなる感銘を受けている。

 そう、志村は死なない。

 彼の死去を受けて拙ブログでこうした記事も書いたが、私は不思議と悲しい気持ちがわかなかったし、まして涙も出てこなかった。今もそうである。

 東京都知事小池百合子が記者会見で、志村が新型コロナに警鐘を鳴らしたという点で、その死を「最後の功績」と評した。私はその言葉に反射的に反発した。志村は死んだ後も功績を残し続ける。偉大なる喜劇王チャールズ・チャプリンも生前に残した映像でつねに現在を生きる人々を笑わせているではないか…と。

 

 そんな気持ちをぼんやりと抱えている中、高木が上記のコメントをしてくれたことに心の中でひざを叩いた。俺の思いを高木ブーが代弁してくれたのだ。差し出がましいにもほどがあるがそう考えた。

 「志村は死なないの、ずっと生きている」は、今年の流行語大賞にノミネートされるべきだ。私はそう考えている。

 私が居住している自治体の地元新聞で志村をしのぶ手記が掲載されていて、その筆者は「志村さん」でなく「志村」と呼び捨てを用いていた。ドラえもんアンパンマンに「さん」を付けないのと同じことだ…と筆者は書いていた。この主張と、高木のコメントは地続きなんだろうと思う。

 そんなわけで、私の中では、志村は今も生きている。志村は死なない。