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雨上がり決死隊・宮迫博之(「しんぶん赤旗日曜版」4月24日号)

 新カテゴリーの記事を始めます。その名も「芸人インタビュー」。読んで字の如く、主に紙媒体に登場したお笑い芸人さんのインタビュー記事を紹介します。

 栄えある第1回で紹介するのは、国政政党である日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗日曜版」の名物コーナー「ひと」に登場した雨上がり決死隊「ザコミヤ」(※1)こと宮迫博之さんです。

 お堅い政党機関紙、それも共産党の新聞に芸人の宮迫が?と思われる方も多いでしょう。しかしこれまでも「赤旗」には桂歌丸萩本欽一笑福亭鶴瓶といった錚々たる芸人が「赤旗」の日刊紙版および日曜版の単独インタビューに登場してきました。若手芸人でも、テレビでおなじみのオードリー若林正恭平成ノブシコブシ吉村崇が出演番組を宣伝する形で「赤旗」のインタビューに応えています。

 繰り返しになりますが、宮迫が今回出演したのは「赤旗日曜版」の「ひと」。タブロイド版36ページで発行される日曜版の最終面を飾るインタビュー連載で、同紙の売り上げをも左右する看板企画と言ってよいでしょう。宮迫も、青スーツでビシッと腕組みと表情を決めて写真に収まっています。

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(「しんぶん赤旗日曜版」4月24日号36面から。文・湯浅葉子記者、撮影・野間あきら記者)

 画像から見切れてしまいましたが、記事見出しは「ゴールは次のスタートだ」。何か、かつてヒット曲「ムーンライト」を飛ばした自身の音楽ユニット「くず」の曲の歌詞にありそうなフレーズですね。もっとも「くず」は、ぐっさんこと山口智充が作詞作曲を一手に引き受けていますが。

 記事の構成は野村萬斎と芸人コンビを演じる映画「スキャナー」の宣伝、東京進出後の苦労話、そして闘病克服の話といったところで、2つめ3つめの話は宮迫ファンなら何回も聞いて知っているよ、と思うかもしれません。しかしそこは話術のプロたる芸人の腕の見せどころと言うやつでしょうか。苦労話も闘病話も新鮮に思える切り口で宮迫が語っています。

 苦労話の方は、東京進出後「6~7年間はどん底」だったとして、宮迫はこう振り返ります。

「能力に自信もあるし技術もある。つまり、素材も、炒めるフライパンもあるのに、コンロを貸してくれない。場所さえあれば結果を出せるのに、それがないのがつらかった」

 東京進出当時は「ボキャブラ天国」全盛期。大阪や名古屋では冠番組をいくつも持てたのに、東京では先輩の今田耕司東野幸治のバーターで単発深夜番組の賑やかし役が精いっぱい。「ボキャブラ天国」に出演しなかった雨上がり決死隊は、東京で売れるために遠回りを強いられました。前述の発言から、宮迫の当時への忸怩(じくじ)たる思いが伝わります。

 「自分で能力も技術もあると言うかね」と鼻白む向きもあるかもしれません。しかし東京進出後「6~7年はどん底」だったという発言が実はミソだったりします。

 雨上がり決死隊が東京進出したのは1996年。それから6年後の2002年というと、単発ながらテレビ朝日系で雨上がりにとって初の冠番組(「苦節14年初冠特別番組雨上がり決死隊!!」)が持てた年ですね。そして翌年の2003年、「アメトーク!」がスタート。時間帯の昇格と番組名「アメトーーク!」への改称を経て、今年まで13年間放送が続いているお化け番組の司会者を務めるに至るわけです。そうした実績があってこその「能力も技術もある」発言なのだと感じさせられます。

 闘病生活の話では、2012年12月の手術の2日後にはリハビリ、4日後にはこっそりランニングを始めたエピソードを披露。「月末には仕事に復帰」というくだりが記事にありますが、これは「年末のアメトーークSPのことだな」と勘のいい人ならピンと来るでしょう。不遇時代から共演の多かった江頭2:50の激励を受け、相方の蛍原徹とキスを交わしたやつねw

 インタビュー本文では、彼の代表作たる「アメトーーク!」の文字は一切出てきませんが(※2)、いわゆる行間から同番組への思い入れをそこはかとなく感じ取ることができます。

 インタビューは明石家さんまダウンタウンといった偉大な先輩が「誰一人立ち止まってくれない」「あっぱれですわ」と冗談とも自嘲ともつかぬ、しかし本音を垣間見る言葉で締めくくられます。ただ私としては、若手時代のくすぶっていたころテレビカメラを三白眼で睨みつけている表情が印象的だった宮迫が、成長し時を経て欽ちゃんや鶴瓶が登場した「赤旗日曜版」の「ひと」に出るまでになったことの方がはるかに感慨深いですね。

 これを機に、いつかは自身の生涯の代表作となろう「アメトーーク!」の司会としてのインタビューで「赤旗」に再登場してほしいと願った次第です。

 

(※1)アメトーーク」の企画「芸人の新ルールを考えよう」で提案された、後輩用の宮迫の愛称。2013年に提唱されたが、結局定着せず。

(※2)プロフィール欄では「アメトーークで活躍中」と言及している。